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2005年06月17日

先輩寄稿文 S22年卒 西山 峰雄先輩

湘南オープンウオータースイム2004報告  
 S22年卒 西山 峰雄

      2004年のオリンピック水上競技の感想 と   
  湘南オ-プンウオータースイム2004 70才以上男子で金メダル獲得
九州帝国大学(工)応用化学科 昭和22年卒   

昨年は九大水泳部としてはまづ何よりも九州学生選手権水泳競技大会の一部昇格を祝おう。着実に実力を付けて行って欲しい。部員の努力に感謝します。嬉しかった。

過去九連勝の記録を持つ九州国公立大会もある。健闘を祈ります。

九大水泳部の鹿屋体育大学合宿で柴田亜衣さんに顔なじみの人もいるのかな?アテネで女子800m自由型に優勝して、もう大学の近くの道路脇に金メタルの記念碑が立てられたと新聞に出たから、今年の合宿に参加する人は見る事が出来る。さらに彼女の着ている水着は下記のカササギタイプの水着だそうで、既に彼女はこのデサント社に就職したと聞く。ほんとかな。北島もミズノ専属でspeedoブランド水着使用、これは鮫の肌タイプとか。こういうことで昔と違って優秀選手にはスポーツによる収入が許されるようになり、よい気分かなと思う。水との摩擦係数が小さい繊維と織り方も改良された生地を使って結果がよいと言う。ソープも同じような物を使っているらしい。今度は日本でカワセミの羽根が水中でも濡れていないことを研究して、羽毛の上に水に濡れない小さい突起がある方が水との摩擦係数が小さい事を見つけて、水着の上に同様の突起を付け特殊処理して成功したと新聞に出た。聞けば、毛ムジャクラナ脚の毛は剃り、水着、帽子着用は必須事項となる。水着の肩とか胸とか腹とかサイドとかで繊維の織り方、方向も変えるという、今九大の水着はどれかな?値段も高いそうだが。又、小さな体で優勝した女子マラソン野口はるみさん同様、高地訓練で呼吸回数呼吸量を減らしても耐える訓練が水泳にも他のスポーツにも広がるように思う。しかし、これは年取ってからどんな影響が残るのだろうか?良い事ばかりだろうかと気になる。医学部の皆さんご意見は如何ですか。

話は変って、50歳以上の九大水泳部OBのメールリスト30人余の皆さん(昭和34年~43年卒)お元気のようで何よりです。昨年5月までそのメールリ ストの存在を 知りませんでした。又”岩城志郎(S50卒)”さんを初めとする10 歳若いグループ(昭和47年~)の存在も知りました。 年1回の千里蹴波行では幅が広すぎて話が合いませんか。マア年寄も仲間に入れてください。2005年で80才です。時々パソコンミスで迷惑おかけしますが、今後とも宜しくです。 バンコックは栗並さん初め九大水泳部の国外拠点ですね。 三木さんが中国秦皇島(万里の長城の東の始まりの海岸)に行かれて ここが第2の拠点になると思ったら、引き揚げて来られた。タイOB会に続いて、中国OB会、イランOB会(片岡博様) --- などが出来るかと、考えただけでも嬉しいですね。しかし韓国と中国が状況急変で気になりますね。 私も皆さんに負けないようにと思っていますが、何よりも記憶力の低下が一番の問題点になってきました。今日やる予定が朝目覚めて 頭に浮かばない、何もなかったなと又寝ると、遅刻するよと起され、慌てて飛び起きるけど、まだ思い出せない。痴呆かアルツハイマーの始まりですかね。昨2004年金婚式を迎え,今年3月で80才になりました。昨年から右膝痛が起こり始め、駅の階段の上下が右膝伸ばしたまま片足づつ動作するので、もうラッシュアワーは敬遠しています。服用する鎮痛剤ミオナールやオステラック、モービックは昼でも夜でも眠くなって私にはダメ、もっぱら、ボルタレン・ゾルやレイナノン テープなどの外用薬に頼っています、膝痛にグルコサミン、ヒアルロン酸を3日間呑んだら、右脛のアンコールワットの古傷が痛みとともに腫れ上がり、あわてて中止する始末、昨年から外国の科学史学会は敬遠しました。ビルマ独特の星座の発表を nice report と褒めて下さったフロリダ大学の陳広諭教授、韓国の羅逸星教授には悪いけれども迷惑かけています。ご自分の自家用車持って来て乗せてくれたり、他の出席者に気を使わせていけません。遊びのアンコールワット行きでは脛に怪我したり、同行者に迷惑かける厄介者になって来たからです。

 水泳なら良いのか?今全力で泳げるのは25mまでです。それもノーブレッシングで 19秒台に落ちました。狭いプールの中だけではなくて、トライアスロンの練習用みたいな(怒られるかな)囲いのない場所での水泳、昔の遠泳とは違うんだというのがあるのを知りました。(そういえば九大体育部のホームページ20ほどある部の中に水泳部が出ていないのはどういう訳ですか?トライアスロン部は出ているのに話が無かったんですかね。ミスで落とされたのですかね?こういうミスはせっかくの部員勧誘の機会を自ら潰しているようなものです、厳重注意を!)。元々はトライアスロンの練習用に考えられたみたいですが、いずれはオリンピック種目に入れるだろうと下準備は進んでいるそうです。昨年は鎌倉市役所のチラシ置場に 第1回湘南オープン・ウオーター・スイミング出場者募集のビラが50枚もおいてあり、早速高田俊生さんに一緒に出ませんかと声を掛けましたが都合悪く私一人で出ました。片瀬の東浜海水浴場がゴール(片瀬東浜とは場所は江ノ島の対岸の腰越と江ノ島大橋の北の根っことの中間です。地図を見てください)、スタートは競技の距離で異なり、10kmは逗子から、5kmは由比ガ浜、3kmが稲村ヶ崎、1.5kmは七里ヶ浜の4ヶ所からスタート、長くなるので地図や規約、申込条件などは 下記の笹川スポーツ財団のホームページを見てください。SWIMという雑誌を見るとオープンでなくラフ・ウオーター・スイミングというのも平塚とか九十九里浜、沖縄などにあります。波があるところでしょうね。ホントのトライアスロン練習用か、そうでもないのか、未だ私には分っておりません。

 昨年は1.5; 3, 5, 10kmの4種目でしたが、2005年は2.5kmと6kmと10kmの3種類で参加費はそれぞれ5000円、7000円、13000円と約66,40,30%の値上げです。ほかに初心者向けに800mの集団遠泳が江ノ島ー片瀬東浜間に設定されました。参加量¥1000と安いですが、競争ではなく、30人ずつ位の集団での遠泳です。ほかに今年は2m以下のサーフインパドル、2m以上未満のサーフインパドル、2m以上のサーフィンパドル、とか、市販品の足ひれ、ビーフィン、モノフィンを足につけてのレースとか軽い遊び的要素が取り入れられました。しかし、昨年の私のタイムでは失格となる1km地点まで30分、2.5km競技90分以内という制限タイムが設けられ、私のタイム、1.5km 80分では諦めざるを得ない。制限時間を延ばすように提案しましたが、長時間の体温低下を懸念する旨回答があり、一寸がっかりしています。みなとみらいのOWSはきつい制限タイムは設けていないようで、そちらに乗り換えましょうか。昨年実施できなかった10kmに申込んでいた人は10000円で良いそうです。競泳と違って非常に高いですね。もっとも日本或いは世界マスターズ水泳大会はクラブあたり基本年会費6000円必要ですから個人加入では同じ位かもしれませんが。(今度九大水泳部OBメールでマスターズ入会という話が出ていますが、九州以外で開催される会に1人とか、2人だけとか出ることは出来るのですか? 出来るのでしょうね)(横浜市で開催する「横浜市民マスターズ水泳大会」は横浜市民であれば一人1種目600円だけで何種目でもOK,クラブ費は不要、横浜プールで開催、安いですね。ただし、これは横浜だけのマスターズで、市外、国内、海外のマスターズには参加できません)

このOWSというのは千里蹴波行42号(2002)のp.34-40に、吉川茂樹さん(S-57)が第9回世界選手権体験記の中で福岡國際OWS、10km、25kmの医療救護やドーピング・コントロールDoping controlとしての経験談や医療救護のお仕事を紹介済みなんですね。ここのはOWSも世界の基準で10km、25kmと長い距離でした。ドーピングはシンクロや水球にも適用するんですね。知りませんでした。有難うございました。

OWSは年に数回あちこちで(東京お台場、九十九里浜、横浜港内、平塚、浜松、中国、四国、沖縄など)開催されていますね。あちこちこんなに多いとは知りませんでした。Sasakawa sports foundationのhp, http://www.ssf.or.jp にも例が出ています。この中に8項目ほどの説明(outline, information,entry, course, Q&A, records, link)があり、このrecordsの中に完泳者全員の名前、タイム、年齢などが発表されています。私は最初誕生年を昭和と思われて(大正生まれの参加者は2人だけだったのです)年齢を65歳とされ60歳代の最下位(12人くらいだったか)で完泳賞の白銅メタルしか貰えず、表彰式にも呼ばれませんでした。1.5kmは参加者345名中、9名リタイア、完泳者336名中最下位のタイム1時間21分29秒でしたが、この種目で70歳を越えた人は私だけだったので70歳クラスでの金メタルを20日遅れで郵送して頂きました。3kmに80才の人がいて2時間01分41秒でした。早い人ですね、同一の種目を選択していたら私は銀メタルでしたね。この年齢確認は前日の登録説明会の時にも行なわれず、健康診断書の 提出だけはうるさく言っていましたが、申込書の確認はallsports社に任せきりで確認していませんでした。表彰式で の賞状の読み違い、 小学生に50万円の賞金を与えるというのはミス訂正の放送もありま したが、転記誤りから来る入賞順の訂正はパソコン上で数字を直しただけで、 ここを直したという修正通知はいまだにありません。賞金アナウンスミスなどのお詫びは他に allsports 社が出しているランナーズ10月号増刊号 SWIMのNo.7(10月11日発行)のp.62,63に小さい私の写真も入った報道記事が出ています。「西山さんだけのミスではない、他の人にもミスがありまして----」と言って、8ヶ月経っても、そちらの人とはまだケリが着いていないのかなと勘繰っています。10kmは逗子沖の風が20m/sと強くコースを表示するブイを繋ぐ錨というか錘というか設置しようとしてもズルズル引っ張られて固定できない、コース設定が出来なくてはレース不可能と言うことで中止になりましたが、1.5kmの方は北風で風雨の中、1時間ほど遅れてスタートしました。前日快晴に恵まれた5km,3kmよりも気温は10度低く19℃、スタート前、雨の中で20分ほど待たされ薄ら寒く、私はアンダーシャツを着て待ち、衣類は先に陸路送られたので、そのまま泳ぐことに なりました。ゴーグルは必要性を感じないので使わず。左目は白内障手術の結果不良でレンズが合わせられない状態、お医者様は網膜の手前に赤色針状物質の膜があるせいだ、乱視は両眼とも毎日クルクル変動する。もっと悪くなったら手術してその膜を引っ張り出してあげる、右も左も目はこの2年で近視が遠視に変化して来て落ち着かない状態だが白内障はまだ辛抱出来るでしようと言うお見立てなので通常使用の眼鏡を輪ゴム4本で結んで泳ぎました。今の人は贅沢?ですね。度の入ったゴーグルを掛けないのを見下げるようです。ゴーグル付ける値打ちは一つおいて隣より遠い先のコースを泳ぐ相手の位置、スピードを観察するには好都合でレース作戦上も有利で私も現役時代、度の付いた水中眼鏡があればいいなと思っていたが、遠泳には要らないと思います。目に海水が入って痛いとかいうなら別だが、近頃の解釈は変って来ているのでしょうか。私にはそれよりも、本来の視力そのものがドンドンオカシクなり、白内障手術後、半年後とにメガネの度数を新しく換えても新聞の文字はルーペなしでは読み辛いですね。脳自体の記憶能力、処理順判定能力は劣化の一途を辿っています。マァ泳ぐには差し支えなしか?水温は25℃で好適でした。丁度新月の大潮で(今年2005年は新月後、月齢10日、長潮かな?潮汐表入手済)スタートは干潮予報の1時間前、潮の流れは最高速度の時刻は過ぎて澱んでいたと思いますが、何しろ初めての場所だから、よく分らない。事前に釣船屋、サーフィンの若者、海水浴小屋の親父などに聞き込む.腰越漁港の事務所に問い合わせるなど情報収集に努めましたが、江ノ島より西は満干いずれの場合も強弱はあるが、西から東へ流れる。しかし、東側は其の時々で東流、西流いずれになるか分らない。というような話。クラゲは8月になると黒潮に乗って博多湾には8月上旬に来るから、福岡では盆前から海水浴は行かせない人が多い。関東地方は1週間遅れと私は見ていた。笹川財団に何でこんなクラゲの押し寄せる時期に遠泳など普段は沖に出ない人を集めての行事をやるのかと聞いたが明確な返答はありませんでした。海の家業者に聞くと、クラゲの時期に南風の時は押し寄せてくる。北風の時は江ノ島の方に吹き寄せられて腰越方面は安全と言う話、ついでにこの辺の底は岩が多く、深さは5mまで。関東大震災前は岩の海岸だったが、地震で2m程地盤沈下して砂が溜って来たのでこの辺は海水浴場に適するようになったとのこと。そしてイスラエルで発明されたクラゲ被害防止剤「SAFE SEA」が日焼止効果剤も入っており(spf値、日焼け止め効果は15と30の2種) (日本ではソニー・プラザで販売)(イスラエル製118mlが2000円位)があり、これを求めて使ってくださいという。私も好奇心と実用を兼ねて買って塗って泳いだが、この日は北風でクラゲは江ノ島に吹き寄せられていたのか、前日8月14日は南風でクラゲの被害者もいたらしいが、我々15日は一匹も姿を見せず大丈夫でした。この薬はカツオノエボシとか刺すクラゲを擂り潰した成分が有効成分でこれを塗っておくとクラゲが触れても仲間と思って刺さないということらしい。これもホームページがあり、もっともらしい説明と、使用時の写真や、実験効果など皮膚の写真などが出ています。この日私はレンズ付きフィルムの水中撮影用を持参していたが、フラッシュが付いていない。雨の中のスタート風景は撮ったが、泳ぎ始めたら水中では光量不足でありチャンスは無かった。予備調査として、前7月の新月の大潮時に合わせて、腰越の義経が追い返された満福寺や小動岬(コユルギ岬)の上から小動港の水深、コンクリートブロックの配置や岩場、海の色、漂流物の方向など観察したが、沖の東西方向は十分に深く心配なかった。2005年も8月15日開催だがこの日は14日が長潮、15日が若潮で、小潮から中潮に移って行く日で午後の干潮が殆ど引かない特別な潮の日である。昨年はこの協議時間中、大潮で強く引いたままだったが、今年は14日は満干が少ない日、15日は中等潮位より満ちてくる日になっている。   この小動岬は高々30mくらいの高さだが、非常に展望が良い、後で鎌倉のこども風土記を見たら幕末江戸湾にお台場、海堡を作った時、ここにも大砲を設置したと記録にある。風、波は東南方向から来ると強そうだが、西南の風は江ノ島が盾になってくれる。むしろ、スタート時ホンの50m位進んだところでクロールの手先が底を掻きそうな浅瀬が海岸に平行に幅5mほど海岸線に沿って長く存在し、危険に感じた。日本水泳連盟(FINA)のオープンウオータースイミング競技規則(Open Water Swimming Rules 8章101條から成る。各章は)

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この競技規則はうまく水連の資料を写す作業が西山に出来ませんでした。必要な方は水連に申し込めば、コピーして実費で送ってくれると思います。

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OWS1 オープンウオータースイミングの定義 競技役員-----2.3職務 3.52  4 スタート10 4.11 まで

 OWS 5開催地 5.10までOWS 6レース 6.16までのOWS 

7レースのフィニッシュ 7までOWS 8チームw)種目 8.2まで 章     101條まで  

------------------------------------------------------------------------ では干潮時に水深50cmあることとなっている。ギリギリで合格か?大潮の干潮時の1時間前で潮位は干潮最大時刻ともう同程度に引いているのだろう。思えば海岸に向かうサーファーが波頭を捕まえるところが此処らしいと後で気が付いた。干潮時に近く潮の動きが止まっていたのか、汐が東西どちらに流れているかは私には判断できなかった。1.5kmレースでは315人参加、皆早いのにビックリした。小動(こゆるぎ)の港のコンクリートブロックを右に見てスタートしたが、ブロック先端を過ぎて 第1コーナーまで300m以上あったかと思うが目標が無く、私はドンドン右に曲がった。後ろを向いて方向調整するが、すぐ又右を向く。波高20cm位で大したことは無いと思うのに振り向くと七里ヶ浜でなく、稲村ヶ崎が見える。右膝痛の為右足の蹴る力はからっきし無いのだろうか?100mくらい行ったところで後ろを振り向くと10人もいない様子。300人はクロールでさっさと行ってしまった。スタート地点の七里ガ浜は江ノ島の陰に入っていないので南東からの潮流をじかに受けるのか、波はあるし第1ブイに達するには随分時間が掛かったような気がします。200mくらい出て横 には遅い人、緑帽子の高齢者、要注意者には1人づつ赤いカヤックに乗った10代のオネイチャンが付いてくれた。そういう指示が出ていたらしくゴール後周囲にはカヤック要員は20人以上、屈強な男性サポーターは40人以上いたと思う。陸上勤務の世話役も多数、話を聞くとこの地区の海難防止救助グループいくつかに、働きかけがあり、個人は無償で参加しているとのことだった。団体には謝礼金でも出しているのだろう。総数80人くらいいたかしら。「第1コーナーもまだか、もうやめて上がろうか、まだ1割も来ていないね」というと「大丈夫ですよ、疲れたら、私に掴まりなさい」という。掴まえたら 失格の筈である。「イヤ掴まらない」と宣言してカヤックの後ろからプックリしたヒップをいい眺めと洒落ながら手だけで泳ぐ。膝は痛くなるといけないから波のまにまにヒラヒラさせるだけにした。1kmのチェックポイントを60分以内に通過しないとそのポイントで失格、乗船させられる。どのブイがそのポイントだか分らない。腰越漁港の東西に長い防波堤の西端の入口灯台よりは手前と分っているが、水面すれすれの眼ではいろんなブイが20ほど見えてどれがどれだか分らない。しかし、このプックリは随分励みになった。泳ぐ前は、波40cm以上だったら途中で上がろうと思っていたのですが、人間年取っても異性の応援は嬉しいものだ。ナントカ最後まで泳ごうという気になった。この子はゴール前、足が底に付いた時の写真の右側に写っている可愛い子です。やっと第1コーナーのブイを右に廻ると波は気にならない、第2行程の半ばに来た時に奥さんがトラックの馬鹿でかいチユーブを浮袋にした夫婦連れ(子供さんも いたらしい)に追い抜かれました。後で成績表を見ると父親と 男子は記録が出ていましたが大きい浮き輪を使った奥さんの方は 浮力の大きい助けを得たというので着順には記録されなかったようです。 浮力や推進力のある足鰭や小道具・浮輪・気泡入りの浮力のあるウエットスーツは使っても良いけれど着順にはカウントしないという説明が前日の登録会説明会でありました。浮力の無いウエットスーツや水着は差し支えなしです。先ほどの子連れ夫婦の場合奥さんは浮袋使用の為、着順やタイム記録は出ていません。完泳賞のメタルもダメかな?貰ったのかどうか分りません。これ位は呉れるのかな?  第2行程の半ばくらいに来た時、左脚のふくらはぎが少しピクピクと来た。筋肉のつりかけである。大したことは無いが先が長い、用心して筋を引き伸ばすこととする、プックリオネイチャンに脚が吊りかけたから一寸潜るよと断って、頭を沈め左膝を伸ばして足首を上に引っ張り、親指を上に捩じ上げる。1、2回で済むと思ったが、どっこい、10分間に10回位引っ張ることになった。この間に前記の親子連れに追抜かれてしまった。 1kmのチェックポイントはまだかと聞くともう過ぎましたよという。エー過ぎた? 何処にあった?チェックタイムの1時間はどうなんだろうと聞くと防水腕時計を見て、47分でしたよ。大丈夫ですよ。と励ましてくれた。コーナーブイは角錐、チェックポイントは背の低いブイだったのだろう、分らなかった。疲労はさほど感じない。これなら泳ぎ通せるなと思った。しんどかったらチェックポイントでOKパスでもカヤックに乗るつもりだったが第2コーナーまでのろのろ泳ぐ。1時間30分がゴール限界タイムであるが、つらなければ大丈夫とふんだ。第2コーナーを廻るとゴールが見える。腰越港への船の出入りは少ない。船にはこの時間遠泳のことは通知が行っている筈だ。又、釣船は午前 5時出発、10時頃には帰港する。海水浴場のモーターボー トもこの時間は稼動を控えたらしい。腰越港入口前後は少し水温が低下していたが (1度C位)岸に近づくにつれ元に戻った。津村から流れてくる神戸川(名はごうどがわ)の少量の 川水の影響だと思う。後日談だが藤沢駅前のスポーツ店(藤沢市の海難防止救助など後援している人が店主)で聞いたら、先に書いた西浜の潮流の話が東西正反対だという、さっぱり分らない。鳴門や明石は渦を見て分るが、速度が緩い所では局所的な流れもあって、渦を巻くほどではないところらしい。この1.5KMコースでは離岸流を起こす程の川はない、離岸流は定説が無いのだろうと勝手に推測している。

昨年と今年の江ノ島地区の潮位のグラフを潮汐表からコピーして掲げておきます。昨年は大潮、今年は小潮。要するにあまり潮流は強くないと考えて良さそうである。皆さんも年寄りの冷や水に参加しませんか。津屋崎の寒中水泳よりは楽でしょうよ。(うまく添付できていなかったら私のPC未熟のせいでごめんなさい)

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ここににタイム測定のRCチップのことを記載します。0.1か0.05秒の 精度で計測出来るそうで、チップ1個の値段は1500円くらい。RCチップは直径6mm、長さ50mmくらいの黒い棒(プラスチックだろう)です。中にICチップでも入っているのでしょう。これを手か足に巻きつけるベルトに差し込む場所があって腕時計のように足や腕に巻きつける。これを身に付けて検知装置の電線を備えた地点を通るとRCチップの番号とその時の時刻を0.1秒か0.05秒の精度で記録できるというもので今はトラック競技やマラソン、駅伝などの競技に使われて、昔のようにストップウオッチを持った審判員がゴールポストに群がって測定するという現象は見られなくなって来ていると言う。今回のRCチップは㈱ランナーズ経由㈱レックス(目黒区)からオランダのメーカーランナーズイベントコンピュータシステムと日本国内独占使用権を1995年結び、2003年にランナーズトルソータグ(胴体タグ)を開発しこれは日本陸上競技連盟で採用されたと書いてあります。プールのタッチ壁には向きませんね。この㈱ランナーズは大会事前準備、事前製作物、大会当日運営も引き受けており、かなり手広くやっているようです。又出場者や雑誌の為の写真やビデオ撮影も引き受け、写真は出場者にも販売2L版にL版1枚おまけにつけて1500円+送料で商売もしています。私も買いました、その写真がここに掲載したものです。しかし。運営は頼むほうも十分に監査しながらやらないと今回の私のケースのようなミスを起こしますね。しかし、こういう新測定法を今回私は初めて見ました。参加選手は身に付けるだけだが、コースのゴールには今回の場合は地上に検知する電線を這わせ、その上にゴムシートが被せてあった。JRのスイカなどのように ICチップが密封されたものだろうか。選手ナンバーさえあれば今回は機能は足りるのだろうから、安価にできそうだ。しかし波打ち際から検知装置のゲートまで砂浜を50mほどを走れば数秒短い時間が記録できたなと感じました。検知装置(電線の上に黒い30cm幅のゴムシートを黄色の大きな鉄の門の間に敷いてあり、これをまたいだ瞬間が記録されるらしいがどんなものかも知らなかったので、来年からは上陸したらヨチヨチながら砂浜を走ろう。今年は知っていても練習していない、耐久力が無いからもう走れなかったですね。

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上陸ゴールしてからが前の人より20分以上遅れたどん尻だから、すべてに置いてけぼりで、着替えに困った。まず、小屋で2個残っていた完泳賞の1個ををくれた。テントに入ると有料脱衣場が指定されていたらしいが、その案内がない、案内人もいない。着替え済ませた出場者は出て行ってしまった。雨はかなり降るし、テント内は敷物無く、足から砂が離れない。脱衣場はかなりの雨の中、袋を背負って少なくとも50mは歩かねばならない。諦めて露天の消防ホース的水栓から水を浴び、テント内に戻り、砂が付着したままの足で水着を脱ぎ、ズボンを穿き、靴を履き、水着類を網リュックに詰め、外に出る。表彰式を開始するから受賞者は表彰テントに集合というアナウンス。遠くから覗いて見ると、個人表彰から団体表彰と続きメタル、賞状、賞品が渡されている。賞品の中にイスラエルのクラゲよけの薬やお菓子もあった。しかし、驚いたのは、小学生クラスの表彰に賞金50万円とか!30万円とか言う賞金が読上げられた時であった。中止になった10kmリレー団体賞の表彰状用紙に小学生の部を間違えて書き込み、そのまま読み上げたものらしい。後で訂正されたが、お笑い種であった。式終わってオールスポーツ社の女性記者から取材を受けた。SWIM誌10月号p.80ページに写真入記事が出ている。3kmには80歳の人がいた)私の生年月日の大正、昭和の取り違えとか、間違いは私一人ではないと事務局はぼやいていたが、アレコレ初めてのことで、しかも財団はオールスポーツ社に完全に下請けさせて、笹川スポーツ財団側はチェックをしていない、前々日の選手登録会でも健康診断書の提出ばかりやかましく言って、参加者から提出した内容の転記内容は全くチェックされなかった。この辺に大きなミスがあった。文書管理不十分のそしりを免れない。オリンピックなら大変なことになっただろう。表彰式ですべての公式行事は終わり、15時から後夜祭が開催される。出席して様子を聞きたかったが、ノロノロ泳ぎとは言え、プールと違って50mごとにターン壁でサボれない。釣船屋で昼食を取り、疲れているので出席せずに、江ノ電、腰越駅からJR鎌倉駅経由帰宅した。わずか20分の江ノ電車内で居眠り。やはりかなり疲れていた。家に着いて完泳賞の白メタルを孫の首にかけて来年はおじいちゃんと一緒に泳ごうとけしかけた(まだ25mしか泳げない)。

オープン・ウオーター・スイミングは日本水泳連盟にも10年前から世界的に通用する規則が制定されている。 西山は今回の競技前に水連から入手して、検討した上で出場した。水連は70年史の折にも再々訪問し顔なじみである。トライアスロンの規則までは調べていない。スミマセン。しかし、競技場の設定は風速だけでなく他の諸条件も勘案して、競技可能か否かで判断されると思う。今回の風速は、その強さの為、行路のマークとなるブイの設置が不可能(ブイが風で流されて固定できないこと)が中止の理由のひとつに挙げられたということでした。他にカヤックも出せない、流されるということも言っていました。

競技の各距離別の記録を書こうとしたがうまく入力出来ないので省く。しかし、10歳の子が昭和7年の1500mロサンゼルスの天野富勝の19分55秒の記録より40秒も早いのには驚いた。当時は20分を割る超人的大記録と謳われたものだったが、スイミングクラブで鍛えたのだろうが、19分台が3人もいたのにあらためて感心した。

 ここに各距離ごとの成績を参考に掲出しようとしたが未熟でうまく転記できない。希望者は私にコピーを要求するか、日本財団のホームページを見て欲しい。

私が出場した1.5kmの上位下位20人づつの着順とタイムを掲げておく。トップグループに15歳で17分台、19分台に5人も10歳代の若者がいる。10歳で19分12秒だ。潮流が幸いしたのか,距離が短いのか実力があるのか素晴らしいタイムだと思う。ターンがないだけプールより遅れると思うのだが老人には驚異の記録と感じた。---- 下位20人では私が超最低で、マァ、諦めずにゴールしただけ良かった。プックリオネイチャンに最敬礼!

話が変わるが今回2005年1月25日付小惑星9870番に前畑という名前がつけられた。高知県安芸市の関勉さんが発見した小惑星1992DAという仮符号の小惑星が新発見と確認されての命名である。いうまでもなく昭和11年ベルリンオリンピック200m平泳で優勝した前畑秀子さんを讃えての命名であるが、日本でも、世界でもオリンピック優勝女子水泳選手で命名されたのは初めてかと思う。関さんはヴァイオリンの先生であり、芸西天文台台長であり、毎週お孫さんとプールに通う河童であります。私のタイムを聞いて「おそいですね」と言われる。(私も6245番に西山と命名して頂いたがこれは水泳ではなくて、小惑星の軌道調査研究に貢献したということで、私の水泳記録(戦争中昭和17年全国高等学校水上選手権、インターハイの800m自由形で全国優勝)を讃えたものではない、4年の周期で太陽を廻っている。ついでに筑紫という小惑星名もある、これはやはり関勉さんに1944年から1947年まで活動した筑紫天文同好会を記念して名づけて頂いたもの,7.8年の周期で太陽を廻っている。(小惑星前畑の周期は3.6年、西山は3.4年。いずれ近づく機会があるでしょう)。筑紫は戦争末期から戦後に掛けて私が主宰した会であるがこれも水泳を表彰してのものではない。個人的自慢話はこれでお仕舞い。

日本水泳連盟からの毎年度競技別20傑表彰バッジ(これは付録)

昭和10?-17年頃日本水泳連盟では、年度ごとにひとつの競技の日本人の年間ベスト20傑を選び、水の漢字を表徴した記念バッジを贈っていた。 昭和16年旧制福岡高等学校一期下の和田康夫君は私より800m自由形で15秒程早く10分50秒台でこのバッジを獲得していた。このバッジとはある年1年間の中で1競泳種目で全国すべての中からタイムの良い順に20位マデの人に日本水泳連盟が提供した水の字を表したバッジである。私は11分が切れず23位?だったか。戦争で途絶えた筈である。今どうなのかな。復活したかな。

投稿者 : 2005年06月17日 21:29

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