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2005年06月17日
先輩寄稿文 S50年卒 岩城 志郎先輩
千里蹴波行
S50年卒 岩城 志郎
この文章は70年記念号に寄稿したものと一部重複する。そのときと状況が変わった。九大本学(箱崎地区)と教養部(六本松地区)が一箇所に統合されるという。場所は西区の元岡。移転先周辺のハード(交通網)は整備されつつあるようだが、移転するソフト(人間の心)の準備はできているのだろうか。現役の頃の記憶を整理するのも悪くないと思う。昭和46年(1971年)から1~2年の話。
掛 軸
水泳部の掛軸といえば、いわずと知れた「千里蹴波行」。これが水泳部のために書かれたものでないとしたら、皆さんはどう感じるだろうか。私はビックリ仰天して「そんなぁ」と叫びそうになったものだ。
「筆を振るったのは第5代総長松浦慎さんご自身だと聞く。文字の意味から『波を蹴っているのは脚ではなくボートの櫂』である!ちょいとした手違いで水泳部室に置き忘れていた掛軸が、水泳部の所有物になってしまったんだ。早とちりした水泳部員がいたようだ」と。当時の部長だった故中村先生から伺ったと思う。何人かが一緒に聞いたと思うが、同席者は思い出せない。
しかし、私が掛軸は水泳部のものと信じる理由は大きく三つある。
第一に、「千里蹴波行」の意味である。波を蹴るのは脚であって断じて櫂などではないと今でも信じている。櫂は漕ぐものと思う。
二つ目の理由は部室の位置である。仮に部室を間違えたとすれば、近くだったはずだ。教養部では部室はボート部と隣り合っていたが、たとえそうであったとしても部室を間違えることはないだろう。
第三は、歴代の先輩が掛軸を他部のものと誤解し続けたとは思えない。部誌の表紙を何十年も飾っているのだから。
いずれにしろ、掛軸は水泳部のものとなる運命だったから、過去・今・将来に亘って水泳部の宝である。
その掛軸が当時ひどく痛んでいた。そこで、梅本さん(48卒主務)と六反さん(49卒主務)が相談して補修した、らしい。
掛軸補修は「ケガの功名だった」と六反さんはおっしゃる。それは次の理由からだ。
その頃、部にとって火急に解決しなければならない問題があった。コースロープの新替えである。コースロープが劣化。亀裂が走り割れていた。接触して傷を負う部員も出ていた。
対九工大の定期戦は短水路の本学プールで行われていたので、安全上、解決せざるを得なかった。当時は短水路で水泳大会を開催することが当たり前だったと思う。九大プール本学も教養部もいずれも短水路だが最新鋭の設備だったと言われる。最新鋭設備に劣化したコースロープは相応しくない。水泳部の「コースロープ新替え」は、そのような事情から生じた急務だったのだ。
主務の六反さんはロープの補修費用を確保するために本学と交渉、先輩からの寄付も募って奔走された。
その甲斐あって寄付金が予想以上に集まった。有効に使う方法として掛軸整備費用に充当したのが実態らしい。その補修は30年ほど前のこと。
今年は2度目の補修が完了した。そのいきさつや経費については現役の寄稿に譲るが、原本と複製版の2種を一挙に補修・作成したと聞くから、原本は大事に保管して将来に繋げるよう配慮してほしいと願う。
以 上
投稿者 : 2005年06月17日 21:39